アトリエスワン

(✨作家 白鳥静香先生読書会✨)

NOTE~哲学的断章 <20>

NOTE~哲学的断章 <20>

白鳥静香著

 

 

 

 

 自分が宇宙に与えた損失を罪というなら、

 

 

 

 

恐るべきことに、

 

 

 

謝って、相手が許してくれたとしても、

 

 

 

損害が宇宙から消えることは絶対にない。

 

 

 

自然界から罪が消えることは絶対にない。

 

 

 

 

だから私たちは超自然的なものを見失ってはならないのである。

NOTE~哲学的断章 <19>

NOTE~哲学的断章 <19>

白鳥静香著

 

 

 

 

 宗教が神という無限なるものと関係することであるなら、

 

 

 

 

 

有限なるものに担える機能は有限なるものにまかせて、

 

 

 

宗教は、

 

無限なるものにしか担うことのできない機能を担えばいい。

 

 

 

 

 

 倫理や、道徳は、

 

 

 

有限な世界の有限なる論理である。

 

だから、有限なるもの、

 

 

 

たとえば、

 

 

 

倫理学や法学のような有限なるものに担ってもらえばいい。

 

 

 

 

 

それは、宗教の権威を手放すことではなく、

 

 

 

 

 

むしろ宗教を純化し、

 

 

 

宗教の社会的価値を高めることとなるだろう。

 

 

 

 

 

 無限なるものにしか与えられないものとは、

 

 

 

正義や裁きではなく、

 

 

 

 

 

愛や許しであり、

 

 

 

そして永遠である。

 

 

 

NOTE~哲学的断章 <18>

NOTE~哲学的断章 <18>

白鳥静香著

 

 

 

 

 現代は、

 

 

 

社会的機能(職業)の分化が進み、

 

 

 

宗教が倫理的機能や道徳的機能を担う時代ではなくなっている。

 

 

 

 

 

 倫理的機能や道徳的機能は、

 

 

 

宗教よりも、

 

 

 

倫理学や法学、哲学、経済学などの学問の方が、

より高度に、

 

 

 

より専門的に担うことが

 

 

 

できるだろう。

 

 

 

議論し、コミュニケーションを取り合うシステムも、

 

 

 

宗教よりも高度な形で備えている。

 

 

 

 

 

 現代において、

 

 

 

宗教が社会の倫理的機能、道徳的機能を

 

 

 

担おうとする限り、

 

 

 

人と人とを分断し、ディバイド(分ける)することと

 

なってしまうだろう。

 

 

 

 

 

 自分の正義が神のような絶対的なものに保証されていると

 

信じるとき、

 

 

 

人は途端に思考する意志や、

 

 

 

他者とコミュニケーションする意志を停止し、

 

 

 

排他性を発揮しはじめるからである。

 

 

 

 現代、宗教が担うべき社会的機能は、

 

 

 

道徳的機能や倫理的機能ではない。

 

 

 

 

 

宗教が担うべき社会的機能はほかにあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

NOTE~哲学的断章 <17>

NOTE~哲学的断章 <17>

白鳥静香著

 

 

 

 

 満たされれば知ろうとしなくなる。

 

 

 

できていると思うとやらなくなる。

 

 

 

完成していると思うと落ちる。

 

 

 

 

 

満たされてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NOTE~哲学的断章 <16>

NOTE~哲学的断章 <16>

白鳥静香著

 

 

 

 

 職業が分化した現在、

 

 

 

かつて宗教が担っていた機能は、

 

 

 

ほかの職業が、

 

 

 

 

 

生きてゆく力は科学技術が、

 

 

 

 

 

規範は、倫理学や法学、経済学、

 

 

 

裁きは司法が担っている。

 

 

 

 

 

その方が宗教が担うより、

 

 

 

よりよいものを与えられるだろう。

 

 

 

 

 

 宗教が生き残るとするなら、

 

 

 

過去、宗教が担っていたのとは違う機能を担うことによってであるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

NOTE~哲学的断章 <15>

NOTE~哲学的断章 <15>

白鳥静香著

 

 

 

 

 歴史のはじめ、

 

 

 

まだ都市化も進んでおらず、

 

 

 

技術も未発達で、

 

 

 

人類の力が自然環境にたいして弱かったとき、

 

 

 

 

 

宗教は生きるための恵みや力を与えるという課題を担ったろう。

 

 

 

 

 たとえば、豊作や、狩りの成功、

 

あるいは、戦勝のための祈りを捧げられる、

 

 

 

精霊や古い多神教の神々は、

 

 

 

そのような恵みや力を象徴している。

 

 

 

 

 

 そのうち都市化が進むにつれて、

 

 

 

職業が分化し、

 

 

 

あるいは周囲から異なる習慣や規範を持つ

 

人々が集まったため、

 

 

 

また、人々が都市国家よりも、

 

もっと大きな国家を形成しはじめたため、

 

 

 

 

 

協力しあって社会生活を営むためには、

 

 

 

共通の善悪を教える必要が出てきた。

 

 

 

 

 

そこで宗教が担ったのは、

 

 

 

正義や裁き、

 

 

 

善悪を明確にするという課題である。

 

 

 

善悪二元論ゾロアスター教や、

 

 

 

旧約聖書の神などは、

 

 

 

そのような課題を担っているように見える。

 

 

 

 

 

 さらに

 

 

 

都市化が進んで、

 

 

 

人々の間に格差ができたり、

 

 

 

国と国との間に格差ができてくると、

 

 

 

「なぜ、正義や神との契約を守っているのに

 

自分たちが苦しまなければならないのか?」

 

 

 

という問いや、

 

 

 

 

 

「生きていれば人間は、どうしても罪を犯さざるをえないが、

 

罪を犯した人は見捨てられてしまうのか?」

 

 

 

 

 

という問いが発せられてくる。

 

 

 

 

 

そこで宗教が担ったのが、

 

 

 

地上での苦しみを、天で意味あるものにするという課題であり、

 

 

 

罪を犯した人を許すという課題である。

 

 

 

 

 

旧約のヨブ記の神や、

 

 

 

キリスト教大乗仏教などは、

 

 

 

そのような課題を担っている。

 

 

 

 

 現代、もし宗教が生き残るつもりであるなら、

 

 

 

現代社会が解決できていない精神的な課題に答えてゆかなくては

ならないだろう。

 

 

 

 

 

その課題は、当然、

 

 

 

過去宗教が担ってきたのとはまた異なるものであるはずである。

 

 

 

 

 

 現代、宗教は、

 

 

 

伝統宗教も、新宗教もふくめて、その課題を

 

 

 

いまだ充分に自覚できていないように見える。

 

 

 

 

それが自覚できていないことは、

 

 

 

宗教自身にとっても、

 

 

 

また社会にとっても、不幸なことであるだろう。

 

 

 

 

 

 

NOTE~哲学的断章 <14>

NOTE~哲学的断章 <14>

白鳥静香著

 

 

 

 

 学問とは、

 

 

 

互いに心をひとつにすることができず、

 

 

 

バラバラになってしまった人間が、

 

 

 

もう一度心をひとつにしようとする試みである。

 

 

 

NOTE~哲学的断章 <13>

NOTE~哲学的断章 <13>

白鳥静香著

 

 

 

 

 知的であるとは、

 

 

 

自分の

 

意見に論理的な、

 

 

 

あるいは客観的な根拠を示すことができること。

 

 

 

 

 

意見を言うだけでは

 

 

 

まだ知性や理性を働かせているとはいえない。

 

 

 

NOTE~哲学的断章 <12>

NOTE~哲学的断章 <12>

白鳥静香著

 

 

 

 

 個々のものは不完全。

 

 

 

それはバラバラになったもの。

 

 

 

 

本当は、

 

 

 

宇宙はひとつのものとして見ることで

 

 

 

はじめて美しいものかもしれない。

 

 

 

 

『尽十方世界是一顆明珠(じんじっぽうせかいこれいっかのめいじゅ)』

NOTE~哲学的断章 <11>

NOTE~哲学的断章 <11>

白鳥静香著

 

 

 

 

 文明が進歩するということは、

 

 

 

職業が分化するということです。

 

 

 

 

 

逆に言えば、

 

 

 

歴史をさかのぼるほど、

 

 

 

職業があまり分化していないということにほかなりません。

 

 

 

 

 

ひとつの職業がいくつもの機能を同時に担っていたという

 

ことです。

 

 

 

 

 

その代表が宗教です。

 

 

 

 

 

現代でこそ、宗教は職業として魂の領域のみを担っていますが、

 

 

 

 

 

古代においては、

 

 

 

それは魂を扱うとともに、

 

 

 

道徳や法律、

政治や裁判の機能から、

 

 

 

学問や学校、

 

 

 

あるいは医療や芸術など多くの機能を担っていました。

 

 

 

 

 

担っていたというより、

 

 

 

職業が分化していなかったのです。

 

 

 

 

 

 現代、職業の分化、社会的機能の分化が進み、

 

 

 

 

 

宗教が多くの機能を担うことから解放されたことによって、

 

 

 

(たとえば、倫理学が発達した現在、

 

宗教は、道徳や倫理的機能を担うということからさえ解放されて

 

いるでしょう。)

 

 

 

 

 

 現在、宗教は存続のひとつの危機に直面しているでしょう。

 

 

 

ですが、

 

 

 

この職業の分化ということをきちんと自覚して時代に

 

 

 

対応してゆくなら、

 

 

宗教はより純化され、

 

 

 

新しい生命を得て、

 

 

 

現代社会に欠かすことのできない機能を担ってゆくはずです。

 

 

 

 

私はその機能のひとつは、

 

 

 

存在に意味や尊厳を与えるということではないかと思うのです。

 

 

 

 

 存在の意味や尊厳こそは、

 

 

神秘的なもの、

 

つまり科学や理性からは絶対に出てこない結論であるからです。

小さきものに限りない愛を 20 ~素材

 

小さきものに限りない愛を 20 ~素材

白鳥静香著

 

 

 

 

・どのような美しいものも、素材をそれだけとってみれば、

おそらく、醜く、汚いものでしかないでしょう。

 

 

彫刻はただの石ですし、


絵画の絵の具もそれだけ床に落ちていれば拭き取るしかない汚れです。

それを喜ぶ人はいないでしょう。

 

音もまたそうです。


いいメロディーから、ただひとつの音だけをとってきて、

たとえば「ミ」の音だけを、

あるいは、「ファ」の音だけを取ってきて、

鳴らし続ければ耐え難い騒音でしかないのです。

 

 

 

美は素材にあるのではないのです。

 

 

 


私たち人間は、

そのような美しくない素材を使って美をつくりだすことができる存在です。


だからこそ、私たちは、

世界のどのようなもののなかにも美を見出だすことができ、

人生のどのような出来事のなかにも幸福を見出だすことができるのです。

 

 

 

小さきものに限りない愛を 19 ~物語


小さきものに限りない愛を 19 ~物語

白鳥静香著

 

 

 

 

・私たちは物語や小説を読んで、
あるいはドラマや映画を見て感動します。

読んでよかった、見てよかったと思います。

 

 


物語やドラマのなかには悪人もいますし、
理不尽な不幸や、理不尽な苦しみも沢山出て来ます。

物語ではけっして、よいことばかり、
幸せなことばかりが起きるわけではありません。


にもかかわらず、私たちはそれに感動し、

それを「読んでよかった。」「見てよかった。」と思うことがあるのです。

 

 

私たちの心は、

そのように悪人や、不幸や、苦しみを素材としても、

なお、そこにひとつの感動的な物語や、ドラマを見出だすことが
できるのです。

 

 

 

 

もし、私たち自身に幸福であることが可能であるとしたら、

私たちの心がそのようなものであるからではないでしょうか?

 

 

 

 

物語やドラマほど極端ではないとしても、

私たちもやはり、生きていれば必ず、
悪い人や、理不尽な不幸、理不尽な苦しみと出会います。

良いことしか起きないなどという人はひとりもいないのです。

 

 


にもかかわらず、私たちに幸福であることが可能であるとしたら、

私たちに、よいことのなかだけでなく、悪いことのなかにも、

悪人や不幸や苦しみの出てくる物語にも、

感動できるような心があるからであるのでしょう。

 

 

 


私たちの心が、どのような素材からでも、

そこに美を見出だし、美をつくりだすことができるようなものであるから

私たちは幸福であることが可能であるのです。

 

 

 

 

 


世界に美を見出だそうとする心と、幸福ということとは、

とても近くにあることであるのです。

 

 

 

小さきものに限りない愛を 18 ~洋服

 

小さきものに限りない愛を 18 ~洋服

白鳥静香著

 

 

 

・私たちはどのような美しい洋服でも毎日着ていれば飽きてしまい、

必ず新しい洋服が欲しくなります。

 

子どものころ叱られたように、

飽きっぽいことは、確かに褒められたことではないのかもしれません。

 

 

 

しかし、それは、一面、私たちの心が限りないものであることを

示しているともいえるのではないでしょうか?

 

 

 

 


私たちの心の創造性が限りないものであるからこそ、

私たちはひとつの美にとどまることができないのではないでしょうか?

 

 

きっと、私たちの心が無限であるからこそ、

私たちは今までとは異なる美を見出だそうとするのです。


きっと、私たちの心が無限であるからこそ、

私たちは今までとは異なる美を創造しようとするのです。

 

きっと、私たちの心の創造性が無限であるからこそ、

私たちは有限なものによっては満たされることがないのです。

 

 


人間はおそらく、無限なるものに開かれた存在なのです。

それは偉大なことです。

 

 

 

 

 


洋服を選ぶというようなことは、
ごく身近な、ほんの小さなことでしかありませんが、

そのような小さなところにさえ、人間という生命の偉大さが見てとれは
しないでしょうか?

 

 

 

小さきものに限りない愛を 17 ~眺望


小さきものに限りない愛を 17 ~眺望

白鳥静香著

 

 

 

・私たちは高いところにのぼって景色を眺めることを好みます。

 

 

高層ビルや小高い丘の上から街を眺めるのが嫌いだという人はいないでしょう。

 

 

街のなかを歩いているときは、

ただのゴミゴミした街だと思ってはいても、

 


街のなかで生活しているときは、

必ずしもそこが平和でないことを、

悩みがあり、

苦しみがあり、

人と人とがいがみ合ったりしているのを充分知ってはいたとしても、

 

それでも、私たちは高いところにのぼって遠くの街を眺めると、

街をとても美しく、

とても平和で、

とても懐かしく感じるのです。

 

 

そこには、下から見たときにはなかったひとつの大きな調和があるのです。

 

 


下から見たときにはバラバラの不調和でしかなかったものが、

高いところから眺めている私たちのまなざしのなかで

ひとつの大きな調和に、

ひとつの大きな美になっているのです。

 

 

 

 

 


世界には大きな不調和があります。


憎しみがあり、

怒りがあり、

悲しみ、苦しみがあり、

争いがあります。


病気もあれば、死もあるのです。

 


それは人間に限らず、すべての生き物に共通している現実です。

すべての生き物は不調和をつくり、罪をつくっているのです。

 

 

 

 

でも、ひょっとすると星々をも越えたところには、

もっと、どのような大きな不調和も包んで

ひとつの調和にしてくれる、ひとつの美にしてくれる、

大いなるまなざしがあるのかもしれません。

 

 

 

夜空のもとで、ひとり星々のまたたきに心をはせていると、そのように
思えてくるのです。

 

 

 

小さきものに限りない愛を 16 ~星々

小さきものに限りない愛を 16 ~星々

白鳥静香著

 

 

 

・星々は飛び散っています。

 

漆黒のビロードの上で砕けた宝石のかけらのように、
宇宙空間の闇のなか、バラバラに飛び散っているのです。

 


だから科学者は理性で星々をひとつの数式につなぎ、

詩人は想像力で星々をひとつの星座につなごうとするのです。

 


学者も芸術家も

どちらも、バラバラだったものをひとつにしようとしているのです。

バラバラな不調和にひとつの調和をもたらそうとしているのです。

 


調和が喜びであるからです。

調和こそが幸福であるからです。

 

 

 


そうであるなら、知ることと、美を感じることとは、
実はとても近いことなのではないでしょうか?

 

 

知とはバラバラなものをひとつに結びつけ、
バラバラな不調和なものにひとつの調和を作り出そうとすることです。


美もまたそうであるでしょう。

 

 

 


知も美もバラバラなものをひとつに結び、不調和に調和をもたらすことです。

 

それは私たちのまなざしがすることであり、

理性がすることであり、

心がすることであり、


そして根本的には私たちの心のなかの愛がすることであるのでしょう。

 

 

愛とはバラバラなものをひとつに結びつける力であるのですから。

 

 

 

 


本当に美しいのは、あの形や、この形といった、形あるものではなく、

それをひとつの形に結びつけている心のなかの愛でこそあるのかもしれません。