アトリエスワン

(✨作家 白鳥静香先生読書会✨)

NOTE~哲学的断章 <15>

NOTE~哲学的断章 <15>

白鳥静香著

 

 

 

 

 歴史のはじめ、

 

 

 

まだ都市化も進んでおらず、

 

 

 

技術も未発達で、

 

 

 

人類の力が自然環境にたいして弱かったとき、

 

 

 

 

 

宗教は生きるための恵みや力を与えるという課題を担ったろう。

 

 

 

 

 たとえば、豊作や、狩りの成功、

 

あるいは、戦勝のための祈りを捧げられる、

 

 

 

精霊や古い多神教の神々は、

 

 

 

そのような恵みや力を象徴している。

 

 

 

 

 

 そのうち都市化が進むにつれて、

 

 

 

職業が分化し、

 

 

 

あるいは周囲から異なる習慣や規範を持つ

 

人々が集まったため、

 

 

 

また、人々が都市国家よりも、

 

もっと大きな国家を形成しはじめたため、

 

 

 

 

 

協力しあって社会生活を営むためには、

 

 

 

共通の善悪を教える必要が出てきた。

 

 

 

 

 

そこで宗教が担ったのは、

 

 

 

正義や裁き、

 

 

 

善悪を明確にするという課題である。

 

 

 

善悪二元論ゾロアスター教や、

 

 

 

旧約聖書の神などは、

 

 

 

そのような課題を担っているように見える。

 

 

 

 

 

 さらに

 

 

 

都市化が進んで、

 

 

 

人々の間に格差ができたり、

 

 

 

国と国との間に格差ができてくると、

 

 

 

「なぜ、正義や神との契約を守っているのに

 

自分たちが苦しまなければならないのか?」

 

 

 

という問いや、

 

 

 

 

 

「生きていれば人間は、どうしても罪を犯さざるをえないが、

 

罪を犯した人は見捨てられてしまうのか?」

 

 

 

 

 

という問いが発せられてくる。

 

 

 

 

 

そこで宗教が担ったのが、

 

 

 

地上での苦しみを、天で意味あるものにするという課題であり、

 

 

 

罪を犯した人を許すという課題である。

 

 

 

 

 

旧約のヨブ記の神や、

 

 

 

キリスト教大乗仏教などは、

 

 

 

そのような課題を担っている。

 

 

 

 

 現代、もし宗教が生き残るつもりであるなら、

 

 

 

現代社会が解決できていない精神的な課題に答えてゆかなくては

ならないだろう。

 

 

 

 

 

その課題は、当然、

 

 

 

過去宗教が担ってきたのとはまた異なるものであるはずである。

 

 

 

 

 

 現代、宗教は、

 

 

 

伝統宗教も、新宗教もふくめて、その課題を

 

 

 

いまだ充分に自覚できていないように見える。

 

 

 

 

それが自覚できていないことは、

 

 

 

宗教自身にとっても、

 

 

 

また社会にとっても、不幸なことであるだろう。